
元S.E.S.の歌手パダがデビュー前後に経験した生活苦について語った。
パダは20日放送のChannel A『4人用食卓』にS.E.S.メンバーのユジン、歌手ブライアンと共に出演し、自身の人生を振り返った。
パダはこの日の放送で、子供の頃はプールのある私立幼稚園に通うほど裕福だったが、父が病気になり家が完全に困窮したと語った。
彼女は、病院で父が6ヶ月後に亡くなると言われ、薬代が非常に高く、薬もきちんと買えず、結局田舎に引っ越すことになったが、そこでさえ賃貸詐欺に遭い、ユニットハウスに住むことになったと述べた。
パダは厳しい状況にもかかわらず、歌手の夢を抱いて安養(アニャン)芸術高校に進学した。芸術高校の学費が高いため、両親が出願時も合格時も止めようとしたという。一度も両親の意向に逆らったことはなかったが、その一点だけは最後まで強く自分の意志を主張し、「1位になれる」と言って初めて反抗したと当時の状況を振り返った。
また、パダの学費を稼ぐために彼女の父は、最終的に夜の舞台に立つことになったという。バダは、パンソリ(韓国を代表する伝統的な音楽)をしていた父がビニール袋に衣装を詰め、帽子を手に出かけ、体調が優れない中で舞台に立ったと語った。
彼女は、父が草履を履いて出かける姿を見て「私は絶対に成功しなければならない」と決意したと回想した。
しかし、デビュー後も生活苦は続いた。パダは、祝日にマネージャーが家まで送ってくれる道で、自分が「ここで降ります」と言ったところ、マネージャーが「なんで?トイレに行きたいの?」と聞いたと語った。家がユニットハウスであったため、トイレだと思われたのだという。
パダは1997年にガールズグループS.E.S.のリードボーカルとしてデビューし、「I’m Your Girl」、「君を愛してる」、「夢をかさねて」など数多くのヒット曲を生み、韓国の第1世代ガールズグループとしての地位を確立した。2002年にS.E.S.が解散した後もソロアルバムを発表するなど精力的に活動し、ミュージカル俳優としても人気を博した。