

死んだ息子にそっくりなヒューマノイドを養子にできるとしたら。
「喪失」をキーワードに家族の物語を描いてきた日本映画界の巨匠、是枝裕和監督がAIとヒューマノイドを題材に取り上げた。
今年のカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された彼の新作映画『箱の中の羊』は、近未来を舞台に、死んだ息子のデータを基に作られたヒューマノイドを家族として受け入れた夫婦の物語を描いた作品だ。
是枝監督は今月5日、韓国のメディア関係者の前で、「『生き残った者が自分の生活のために死者の存在を勝手に利用してもいいのか』という倫理的な問いを投げかけたかった」と語った。彼は中国のある死後AI復元事業を知った後、技術が遺族を慰めることはできても、逆に喪の過程を妨げてしまう可能性があるという問題意識からこの映画を構想したという。
彼は「自身も突然この世を去った父に言えなかった言葉があった」と明かし、「遺族の気持ちは非常によく理解できるが、これは結局生きている者のエゴから生まれたものではないかという考えが浮かんだ」と述べた。
映画は、専門家らが生成AIの実用化が本格化するとみる10年後を背景にしている。ただし、本作はド派手なSF的スペクタクルに終始するのではなく、ロボットを必要とせずにはいられない人間の繊細な心理に深く切り込んでいる。
作品の中で、ヒューマノイドの子どもは虫を殺したり、母親に冷酷な質問を投げかけたりする。是枝監督はこれについて、「子どもならではの残酷さとヒューマノイドの異質感の間で微妙な不快感を感じさせるよう演出した」と説明した。
映画はヒューマノイドの息子・カケルに対する夫婦の複雑な感情と癒しの過程を描く一方で、他のヒューマノイドたちと交流しながら自分自身の生活を夢見始めるカケルの姿も捉え、違和感を醸し出す。是枝監督は、「各個体が個別の人格を持っているというよりは、AIやヒューマノイドが集団化された時、そこにまるで『一つの意志』が宿っているかのように人間に見える、その不可思議なメカニズムを描いた」と、本作に込めた独自の演出意図を明かした
是枝監督はこの作品を通じて新しい共同体の可能性も提示した。彼は結末に登場する森をロボットと人間、機械と自然、生者と死者が一緒に集う空間として表現した。一部ではこの結末が感傷的すぎるという指摘もある。